July 1372003

 百日紅きのうのことは存じませぬ

                           新田美智子

語は「百日紅(さるすべり)」で夏。「昨日のことは存じませぬ」とはまた、ずいぶんとシレッとした物言いであることよ。しかし、言われてみれば納得である。これからの暑い季節を物ともせずに咲き通すには、これくらいの図太さがなければ、やっていられないだろう。次から次へと新しい花を咲かせていくのだから、昨日のことなどにうじうじと拘泥していたのでは身が持たない。そりゃ、ときには失敗もあれば戸惑いもあるさ。でも、それらをいちいち反省したり内省したりしている余裕などは無いのである。常に、目の前にはやるべきことが待機している。それをやらなきゃ、身の破滅。人間で言えば、働き盛りの年代に通じる物言いが「昨日のことは存じませぬ」だ。私の感受性に従えば、百日紅は幹の独特な形状も手伝って、たとえ樹齢は若くても、あまり若さを感じさせない樹木の一つである。実際、百日紅を見て、青春性を感じる人はあまりいないのではあるまいか。同じ真夏の花でも、夾竹桃の元気さには青春の気があるというのに。そんな中年パワーに溢れた百日紅も、秋口の冷たい風が吹きはじめるころには、さすがに勢いが衰えてくる。それでも懸命にてっぺんの方にいくつかの花をつけつづける姿には、かつての猛烈サラリーマンの悲哀感が漂うようで、見ていて辛くなる。いや、そうなると、振り仰ぐ人もほとんどいなくなってしまうので、そのことも含めての哀れさが募るのである。百日紅の句は数あれど、衰えてきた姿を詠んだ句は見たことがない。掲句の作者は二十代だそうだが、秋の百日紅がいったいどんな台詞を吐くのか、十年後くらいにぜひとも「つづき」を書いてほしい。俳誌「里」(第3号・2003)所収。(清水哲男)




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