July 0972003

 夏迎ふペプシの缶を振りながら

                           櫂未知子

の「夏迎ふ」は立夏など暦の上の夏ではなくて、これからの季節、盛夏を迎える意味だろう。さあ、暑い夏がやってくるぞ。「ペプシの缶を振りながら」、作者はわくわくした気持ちになっている。この屈託の無い青春性や、よし。また糞暑く糞長い夏が来るのかと、仏頂面で焼酎なんかを啜っているおじさんには、もうこんな句は作りたくても作れない。溌剌とした若さに満ちたまぶしい句だ。素朴に若さが羨ましい。と、ここまで書いてきて、ふっと気になったことがある。何故「ペプシ」なのだろうか、と。単に、作者がペプシ銘柄を好んでいるだけにすぎないのかもしれない、でも、日本におけるペプシ・コーラのシェアは客観的に見てとても低い。コカ・コーラに圧倒されている。販売機を探すのも難しいほどだ。だから掲句は、たとえば調味料で「味の素」と言わずに、わざわざ「旭味」(旭化成が食品部門から撤退したいまでは、消えてしまったようだが)と言ったようにもとれなくはない。もっとも「コカ・コーラ」では字余りになってしまい具合が悪いが、ならば「コーラ」でも差し支えはないはずだ。が、そうするとほとんどの読者はコカ・コーラを思い浮かべてしまう。それは困るということだろう。では、ペプシのロゴや缶のデザインが盛夏に相応しく涼しげだから選んだという理由も考えられなくはない。しかし、ペプシのロゴやデザインは実によく変わるので、読者にはイメージが結びにくい。にもかかわらず、あえてペプシとしたのは何故だろう。あくまでもこだわってペプシとしたのだったら、マイナーな飲料水だからこそという意識が、作者のうちで働いたからだろうと思われる。簡単に言えば、私は私だ、他人と一緒にはされたくないという自我主張が込められているペプシなのだ。迎える夏も、私ならではの夏なのである。深読みかもしれないが、このペプシへのこだわりもまた青春特有のそれとして、好ましく受け取っておくことにする。セレクション俳人06『櫂未知子集』(2003)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます