June 3062003

 父となりしか蜥蜴とともに立ち止る

                           中村草田男

語は「蜥蜴(とかげ)」で夏。昔は、そこらへんにいくらでもいた。スルスルッという感じで走ってきては、ひょいと立ち止まり、ときに周囲を見回すような仕草をする。警戒心からなのだろうか。掲句は、この蜥蜴の様子を知らないとわかりにくい。はじめての子供の誕生の報せを受けた作者は、道を歩いている。いよいよ父親になったのかという思いで、あらかじめこの時が来ることを承知はしていても、なんとなく落ち着かない気分だ。実際、私の場合もそうだった。落ち着けと自分に言い聞かせても、意味もなくあちこちと動き回りたくなる。慌てたって仕様がないのだけれど、頭の中は混乱し、胸は動悸を打ち、やたらに「責任」だとか「自覚」だとかという言葉ばかりが浮かんでくる。果ては、まだ見ぬ我が子が成人になるときに、私は何歳だろうかなどと埒もない計算までしてしまったていたらく……。つい、昨日のことのように思い出す。このときの作者だとて、心中は同じようなものだろう。そんな作者が、とにかく意味もなくパッと止まる。と、視野にある蜥蜴もパッと止まった。そしてお互いに、周囲を見回す。夏の真昼のこの図には、作者の苦笑が含まれてはいるが、第三者である読者からすると、むしろ男という存在の根源的な寂しさのようなものが感じられるはずだ。無茶苦茶に嬉しいのだけれど、どこかで手放しには喜べない男というものの孤独の影が。『火の鳥』(1939)所収。(清水哲男)




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