June 2862003

 虹消えて了へば還る人妻に

                           三橋鷹女

語は「虹」。夏に多く見られるので夏季とされる。どんなに素晴らしい虹だったろう。しばし、忘我の状態で見惚れていた。しかしそれも束の間で、跡形もなく「消えて了(しま)」うと、また散文的な日常の時間のなかの「人妻」に「還(かえ)」ったというのである。句意としてはこんなところだろうが、この句に精彩を与えているのは「人妻」という用語法だ。字足らずを問題にせず「主婦」と置き換えてもよさそうだけれど、そうはいかない。なぜなら、「人妻」は一般的に自分を指して言う呼称ではないからである。冗談めかして「私は人妻だから」と言うようなことはあつても、よほどのことが無いかぎり、他人に正面切って「主婦です」とは言っても「人妻です」とは言わないものだろう。あくまでも第三者の妻の意であり、すなわち「人妻」とは「他人妻」なのである。したがって、掲句は「主婦」と表現するよりも、よほど自分を突き放している。「主婦」としても十分に散文的な日常を感じさせるが、「人妻」はもっと索漠とした気持ちに通じるものがある。だから、虹の幻想的な美しさがより鮮明に印象づけられるのであり、消えてしまった後の空しさが読者にもよくわかるのだ。ところで「他人妻」で思い出したが、最近「他人事」を「たにんごと」と読む人が増えてきた。むろん「ひとごと」と読むのが正しい。こういう間違いは、それこそ「他人事」じゃない気がして、聞くたびにハラハラしてしまう。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所収。(清水哲男)




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