June 1662003

 伯母逝いてかるき悼みや若楓

                           飯田蛇笏

語は「若楓(わかかえで)」で夏。楓の紅葉も見事だが、若葉青葉も美しい。句の読みどころは、むろん「かるき悼み」だ。訃報に接して、しくっと胸に来た。だが、それ以上の重い悼みの心は湧いてこない。おそらく「伯母」なる人は、長患いだったのだろう。親類縁者も、近い将来にこの日が来ることを予測していたのだと思われる。また、彼女の死によって、幼い子が遺されるといったような、周辺に直接的な不幸の種が芽生える気遣いもなかったのだ。そして、彼女自身にも死の覚悟ができていることを、作者は薄々ながら知っていた。だから「ああ、やつぱり……」という気持ちになった。こうした想像力を読者に呼び覚ます力は、すべて「かるき」の措辞にある。しくっとした心に若楓の明るさが染みとおるような句で、なまじな追悼句よりも鮮烈ではないか。ただ、作者にしてみれば、発表に際してはよほどの勇気が必要だったにちがいない。「かるき悼み」を不謹慎な表現と読むのが、世間一般というものの文法であるからだ。そして俳句は、世間一般に顔を向けている。この文法が如何に強力であるかについては、読者諸兄姉が先刻ご承知なので、いまさらくだくだしく述べる必要はないだろう。もしも自分が作者と同じような気持ちだったとしたら、こんなふうに詠めるだろうか。ちょっと想像してみるだけで、作者の勇気が実感される。しかも、作句されたのが大正四年(1915年)であることを思えば、なおさらである。『山廬集』(1932)所収。(清水哲男)




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