May 2552003

 辞する背に消さる門灯梅雨寒し

                           後藤雅夫

雨のまっただ中で掲句を読むのはいかにも鬱陶しいので(つまり、それほどの力がある句なので)、いまのうちに掲げておきたい。既に梅雨入りした地方のみなさまには、すみません。その家を辞して、わずかばかり歩いたところで、背後の「門灯」がふっと消えた。ただそれだけのことなのだが、ちょっとイヤな気分だ。もしかすると、自分は歓迎されざる客だったのではないか。調子に乗って長居し過ぎてしまったのではないか。だから、家の人がせいせいしたと言わんばかりに、まだ自分を照らしているはずの門灯を情け容赦なく消したのではないか。そんな思いが心をよぎって、いよいよ梅雨の寒さが身にしみる……。いや逆に「梅雨寒」の暗い夜だからこそ、そうした余計な猜疑心が湧いてきたのかもしれない。先方は、ちゃんとタイミングを計ったつもりで、他意無く消しただけなのだろう。などと、たった一つの灯が早めに消えたことでも、人はいろいろなことを感じたりする。かつての編集者時代を自然に思い起こして、つくづく人の気持ちの不思議さ複雑さを思う。いまのようにファクシミリもメールもなかった頃には、とにかく著者のお宅にうかがうのが重要な仕事の一つだった。夜討ち朝駆けなんてことも、しょっちゅうだつた。著者自身はともかくとして、家の人には迷惑千万のことが多かったろう。明らかに悪意を込めて応対されたことも、あった。玄関を出た途端に、パチンと明かりを消される侘しさよ。著者よりも、まず奥さんに気に入られないと仕事にならない。仲間内で、よくそんなことを言い合ったものだ。文壇三悪妻、画壇三悪妻などと陰口を叩いて溜飲を下げたつもりの若き日に、掲句が連れて行ってくれた。脱線失礼。『冒険』(2000)所収。(清水哲男)




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