May 1952003

 キューリ切り母の御紋を思い出す

                           三宅やよい

木瓜紋
語は「キューリ」で夏だが、「胡瓜」としないで「キューリ」としたところが、句の眼目だ。一般的にはもはや使われなくなった古風な「御紋」との対比が生きてくる。家紋には左右対称形の図柄が多く、また植物系のものも多いので、たしかに「キューリ」の断面は何かの紋に似ていなくもない。食事の用意をしながら、ふっと「母の御紋」を思い出した作者は、ちらりと当時の母の冠婚葬祭などでの立ち居振る舞いに思いが至ったのだろう。しかし、それも束の間、すぐに現実に戻って台所仕事をつづけている作者の様子が、この「キューリ」という故意に軽くした表現に読み取れる。句のように、私たちもまた、なんでもない日常の中で、ふとしたきっかけから瞬時身近にいた誰かれのことを思い出すことがある。そして、間もなく忘れてしまう。そのあたりの人情の機微を、「キューリ」一語の使い方で巧みに詠み込んだ佳句だと感心してしまった。ただ読者のなかには、あるいは「母の御紋」を何故作者が知っているのかと疑問に思う方がおられるかもしれない。母方の紋を代々娘が継ぐ風習は、多く関西地方に見られたもので、全国的ではなかったようだ。私の母も関西系だから、彼女の紋が「抱茗荷」と知っているわけで、他の地方の女性は嫁入り先の紋をつけたから、一つの家には一つの家紋というのが常識という地方が多かったろう。ちなみに、関西での男方の家紋は「定紋」と言い、女方のそれは「替紋」と呼んだ。ところで、掲句の紋はどんなものなのだろうか。図版の「木瓜」というのがある(織田信長の家紋で有名)けれど、胡瓜の切り口を図案化したものと言われはするが、本来は「カ(穴カンムリに巣と書く)」と呼ばれる鳥の巣を象ったものだそうだ。カとは地上に巣を作る鳥の巣であり、樹上に作られたものを巣と書いた。多産を祈った紋と思われる。ところで、あなたの家の紋所は何でしょう。ご存知ですか。恥ずかしながら、私は父家の紋をこれまで知らずに生きてきました。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)




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