May 1452003

 ナイターの黒人の眼にふと望郷

                           和湖長六

ょっと説明的かな。その点は惜しいけど、野球をテレビではなく球場でよく見ている人の句だと思った。サッカーなどとは違って、野球は休み休みやるスポーツだ。選手も観客も常にハイ・テンションでいるわけではなく、緊張感に緩急がある。そこが心地よい。だから観客は、ビールを飲んだり弁当を食べたりすることもできる。それがテレビで観ると、とにかく画面は無理にでも緊張を強いるように演出され作られているので、球場での楽しみの半分は減殺されてしまう。遠くの方で、ぽつんと取り残されているような選手の姿を写すことはない。作者は黒人選手の眼に、ふと彼の「望郷」の念を嗅ぎ取っているが、これも球場ならではの感じ方だ。テレビだと、どんな外国人選手も、仕出し弁当のようにそこに存在するのが当然だとしか見えないが、スタンドからは違う。「ああ、遠くからやってきた男なんだ」と、ひとりでに感じられる。だから、望郷という言葉にも違和感はない。掲句を読んで、それこそ「ふと」思い出されたのは、60年代の後半にヤクルトにいたルー・ジャクソン外野手のことだ。「褐色の弾丸」と言われて私も好きな選手だったが、グラウンドでの姿はいつもどこか寂し気だった。「助っ人」の哀しみを背負ったような男だった。そこそこの成績は残していたのだが、四年目の初夏のころだったか、突然打席のなかで倒れ、二度と立ち上がれずに死んだ。一説によると、日本の食事が口に合わず、焼鳥ばかり食べつづけた結果だという。遺体は、横田基地から軍用機でタンパに運ばれた。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)




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