May 0452003

 ちまき買ひ交通難の刻過ごす

                           杉山岳陽

かったようで、わからない句。家族のために「ちまき(粽)」を買い求め、少しでも早く帰りたいのだが、「交通難」のせいで苛々させられている。ここまではわかるのだけれど、しからば、このときの作者は物理的にはどんな状態にあるのだろうか。つまり、交通難とは何を指して言っているのかがわからないのだ。現代の感覚からすると、交通渋滞ということになりそうだが、この句は出典の発行年からして、1960年代以前に詠まれている。ほんの一部の地域を除いては、まだ渋滞は一般的ではなかったころの句だ。むろん、そんなにマイカーは普及していない。そこでネットを走り回って調べてみたところ、専門家の間では、交通渋滞と交通難とでは定義の違うことがわかった。交通渋滞はいまどきの私たちが体験しているそれであるが、交通難は交通機関が乏しい、インフラの整備が遅れている状態を指すのである。該当する一般的な用例としては、こんなのがあった。「最近の大阪は、東京と同じく交通難だった。午後三時を過ぎると、御堂筋でも、なかなか空車がつかまらない」(梶山季之『黒の試走車』1962)。明らかに、交通渋滞ではないことがわかる。そんなこんなを考え合わせると、掲句の作者の場合も、この状態にあるのだと思われる。タクシー待ちとは限らないにしても、バスや市電を待っているが、なかなか来ないので苛々している図だ。ああ、言葉は難しい。言語難。『新改訂版俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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