April 2742003

 藤房に山羊は白しと旅すぎゆく

                           金子兜太

語は「藤(の)房」で春。立夏の後に咲く地方も多いから、夏期としてもよさそうだ。掲句は「藤房・伯耆」連作十句の内。大山(だいせん)に近い鳥取県名和町には、「ふじ寺」として有名な住雲寺があるので、そこで詠んだのかもしれない。だとすれば、五月中旬頃の句だ。「旅すぎゆく」とあるけれど、むしろ「もう旅もおわるのか」という感傷が感じられる。見事な花房が垂れていて、その下に一頭の山羊がいた。このときに「山羊は白しと」の「と」は、自分で自分に言い聞かせるためで、藤の花と山羊とを単なる取りあわせとして掴んだのではないことがわかる。作者には藤の見事もさることながら、偶然にそこにいた山羊の白さのほうが目に沁みたのだ。すなわち、この山羊の白さが今度の旅の一収穫であり、ならばこの場できっちりと心に刻んでおこうとした「と」ということになる。そして、この「と」は、まだ先の長い旅ではなくて、おわりに近い感じを醸し出す。とくに最後の日ともなれば、いわば目の欲が活発になってきて、昨日までは見えなかったものが見えてきたりする。この山羊も、そういう目だからこそ見えたのだと思う。そうすると、なにか去りがたい想いにとらわれて、自然に感傷的になってしまう。今月の私は二度短い旅行をして、二度ともがそうだった。だから、兜太にしては大人しい作風の掲句が、普段以上に心に沁みるのだろう。『金子兜太集・第一巻』(2002)所収。(清水哲男)




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