April 1942003

 桑の香にいとこ同志の哀しさよ

                           中北綾子

語は「桑」で春。「同志」は「同士」の誤記だろう。句の背景には、養蚕が盛んだった頃の農村風景がある。二人して桑を摘んでいるのか、あるいは桑畑の近くを歩いているのか。相手の「いとこ」は異性である。小さい頃には何の屈託もない遊び仲間だったけれど、異性であることを意識しはじめると、何かにつけてぎごちなくなってくる。口数も減ってくる。相手に好意を抱いているのだから、なおさらだ。そんな気持ちを「哀しさよ」と言いとめた。「悲しさ」と「愛しさ」が入り交じった、なんとも甘酸っぱい空間が広がってくる句だ。これも、美しい青春の一齣である。この句を読んでふっと思い出したのが、クロード・シャブロルの映画『LES COUSINS』(1959)だった。こちらは男同士で、パリに住むぐうたら学生(ジャン=クロード・ブリアリ)のところに、純情で勉強家の従兄弟(ジェラール・ブラン)が、田舎から頼って出てくるという設定だ。この正反対の性格の二人に一人の女(ジュリエット・メニエル)がからみ、やがて悲劇的な結末を迎えることになる。学生時代に見て感動し、めったに買わないパンフレットまで買ったので、よく覚えている。血の濃さゆえに、二人の反発しあう気持ちも強い。「従兄弟の味は鴨の味」と言うけれど、ひとたび反目しあったら、他人同士の関係では考えられないほどに、すさまじいことになる。血の繋がっていることの哀しさを、迫力満点に描いた傑作だった。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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