April 1642003

 葉桜の下何食はぬ顔をして

                           大倉郁子

はあん、何かやらかしましたね、何日か前の花見の席で……。調子に乗って飲み過ぎて、小間物屋を開いちゃった(←これ、わからない人はわからないほうがいいです)のかもしれない。実際はなんだかわからないけれど、とにかく失態を演じてしまったのだろう。それが、花が散って葉桜になり、風景も一変してしまったので、そこを通りかかっても「何食はぬ顔」をしていられる。「ああ、よかった」。もしも、桜の花期がずいぶんと長かったら、こうはいかない。そこを通るたびに、やらかしたことを思い出しては、自己嫌悪に陥るのは必定だ。酒を飲みはじめたころに、私も一大失態をやらかしたことがある。運の悪いことには、桜の下ではなくて、友人宅の部屋の中でだった。桜はすぐに散るけれど、友人の家はいつまでも同じ形で残っているので厄介だ。前を通るたんびに、表面的には何食はぬ顔をしているつもりでも、そのことを思い出さされて自己嫌悪に陥るので、三度に一度は回り道をしたほどだった。だから、句の作者の気持ちはよくわかるつもりだ。背景や光景や環境が変わりさえすれば、以前の失敗が絵空事のように思える。そういうことは、人生には多い。一見軽い句だけれど、この軽さに、読者それぞれの苦い風袋(ふうたい)がプラスされると、そんなに軽い感じを持たずに受け止める人も結構いるのではなかろうか。『対岸の花』(2002)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます