April 1142003

 花吹雪うしろの正面だれもゐず

                           中嶋憲武

るときは、本当に吹雪のように散る。見事なものだ。作者はひとり「花吹雪」のなかにいて、いささかの感傷に浸っている。思い返すと、子供のころには、いつも「うしろの正面」に誰かがいたものだが、いつしか誰もいなくなってしまった。実際に誰かがいたというよりも、両親など、頼もしい誰かの存在を感じながら生きていたのに、その存在が消えてしまった。ひとりぼっち。そんな寂寥感が、激しい落花に囲まれて迫ってくる。苦くもあり、しかしどこか甘酸っぱくもある心情の吐露と言うべきか。というのも、単に背後と言わず、わざわざ「うしろの正面」と、子供の遊び「かごめかごめ」の歌詞の文句を借用しているからだ。このことで、句には楽しかった幼時追想の色合いが濃く滲み出た。「かごめかごめ、籠のなかの鳥は、いついつ出やる/夜明けの晩に、鶴と亀がすべった/うしろの正面だあれ?」。私はこう覚えているが、地方によって多少の異同があるようだ。あらためて眺めてみると、この歌の意味はよくわからない。ただ「夜明けの晩」と「うしろの正面」という矛盾した表現から推して、そうした矛盾を面白がる発想から作られたものだろう。「八十歳の婆さんが九十五歳の孫連れて……」なんて戯れ歌もあったけれど、そんな歌と同じ発想だ。つまりナンセンスソングなのだから、意味を求めても、そのこと自体がナンセンスな試みになってしまう。しかし、子供のころには、誰もが意味不明だということを少しも疑問に思わずに歌っていた。歌にかぎらず、さしたる疑問など持たずに生きていられたのは、むろん「うしろの正面」に安心できる誰かがいてくれたおかげなのである。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)




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