April 0642003

 直立の夜越しの怒り桜の木

                           鈴木六林男

ほどの「怒り」だ。一晩中、怒りの感情がおさまらない。それほどの怒りでありながら、怒りの主は夜を越して「直立」していなければならない。なぜならば、怒っているのは、直立を宿命づけられている「桜の木」だからだ。そして、この木の怒りはついに誰にもわからないのだし、花が散れば振りむく者すらいなくなってしまう。桜の木と日本人との関係について「五日の溺愛、三百六十日の無視」と言った人がいる。至言である。ところで、掲句を文字通りに解しても差し支えはないのだが、作者の従軍戦闘体験からして、桜の木を兵士と読み替えても、とんでもない誤読ということにはならないだろう。たとえば「夜越し」の歩哨などに、思いが至る。理不尽な命令に怒りで身を震わせながらも、一晩中直立していなければならない兵士の姿……。まさに桜の木と同様に、彼の内面は決して表に出ることはないのだと読める。それが兵士の宿命なのだ。こう読むと、たとえ諺的に「花は桜木、人は武士」などと如何にもてはやされようとも、実体はかくのごとしと、それこそ作者自身の怒りが、ようやくじわりと表に現れてくる。余談ながら、諺の「花は桜木……」は、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の十段目から来ている。天河屋義平の義の厚さに感じ入った武士たる由良之助が、一介の商人の前に平伏して「花は桜木、人は武士と申せども、いっかな武士も及ばぬ御所存」と言うのである。『鈴木六林男句集』(2002・芸林書房)所収。(清水哲男)




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