March 1932003

 揚雲雀二本松少年隊ありき

                           川崎展宏

語は「揚雲雀(あげひばり)」で春。鳴きながら、雲雀がどこまでも真っすぐに上がっていく。のどかな雰囲気のなかで、作者はかつてこの地(現在の福島県二本松市)に戦争(戊辰戦争)があり、子どもたちまでもが戦って死んだ史実を思っている。この種の明暗の対比は、俳句ではよく見られる手法だ。掲句の場合は「明」を天に舞い上がる雲雀とすることで、死んだ子どもらの魂が共に昇華していくようにとの祈りに重ね合わせている。戊辰戦争での「少年隊」といえば、会津の「白虎隊」がよく知られているが、彼らの死は自刃によるものであった。対して「二本松少年隊」は、戦って死んだ。戦死である。いずれにしても悲劇には違いないけれど、二本松の場合には、十二、三歳の子どもまでが何人も加わっていたので、より以上のやりきれなさが残る。鳥羽伏見で勝利を収めた薩長の新政府軍は、東北へ進撃。奥羽越列藩同盟に名前を連ねた二本松藩も、当然迎え撃つことになるわけだが、もはや城を守ろうにも兵力がなかった。それまでに東北各地の戦線の応援のために、主力を出すことを余儀なくされていたからだ。そこで藩は、城下に残っていた十二歳から十七歳の志願した少年六十余名を集めて、対抗させたのである。まさに、大人と子どもの戦いだった。戦闘は、わずか二時間ほどで決着がついたと言われている。『観音』(1982)所収。(清水哲男)




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