March 1832003

 四人家族の二人は子ども野に遊ぶ

                           大串 章

語は「野に遊ぶ(野遊び)」で春。これからの季節、近所の井の頭公園あたりでは、こんな家族連れのピクニック姿をよく見かけるようになる。若い両親と幼い子どもたち。「四人家族」ならば、たいていは「二人は子ども」だ。当たり前の話だけれど、あらためてこうして文字にしたり、口に出してみると、家族という単位がくっきりと浮かび上がってくる。浮かび上がると、「そういえば、我が家もそうだった。こんな時期もあったなあ」と、見ず知らずの四人家族にシンパシーを感じてしまう。通りすがりの単なる点景が、ぐんと身近なものになる。ここらへんが俳句の妙で、詠まれている当たり前のことが、当たり前以上のことをささやきはじめるのだ。私のところも四人家族。ご多分に漏れず、子どもたちが小さかったころには、「野遊び」なんて高尚なものではなかったが、あちこちとよく出かけてたっけ。その子どもの小さいほうが、きのう、人並みの袴姿で卒業した。なんだか知らないけれど、ついに「ジ・エンド」という感じである。もはや、家族四人で出かけることもないだろうな。まことに遅きに失した感慨だが、掲句に接して、そんなよしなしごとまで思ってしまった。この若い家族に、幸あれ。俳誌「百鳥」(2001年4月号)所載。(清水哲男)




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