March 0632003

 長閑さや鼠のなめる角田川

                           小林一茶

隅田川
語は「長閑(のどか)」で春。「角田川」は隅田川のことで、「すみだがわ」の命名は「澄んだ川」の意からという。川端を散策していると、ちっぽけな鼠が一心に水を飲む姿が、ふと目にとまった。いかにも一茶らしい着眼で、「ほお」と立ち止まり、しばらく見守っていたのだろう。警戒心を解いて水を飲む鼠の様子は、それだけでも心をなごませるものがある。ましてや、眼前は春風駘蕩の大川だ。小さな営みに夢中の鼠の視座から、視界を一挙に大きく広げて、ゆったりと陽炎をあげて流れる水面を見やれば、長閑の気分も大いにわきあがってこようというものである。小さなものから大きなものへの展開。無技巧に見えて、技巧的な句と読める。角田川と言えば、正岡子規に「白魚や椀の中にも角田川」があり、こちらは大きなものを小さなものへと入れてみせていて、もとより技巧的。比べると、企みの度合いは子規のほうがはるかに高く、この抒情はやはり近代人ならではのものだと思われた。同じ「角田川」でも、一茶と子規の時代では景観もずいぶんと違っていたろうから、そのことが両者の視座の差となってあらわれているとも考えられる。図版は、国立歴史民俗博物館所蔵の江戸屏風絵の部分。うわあ、当時の川は、こんなふうだったんだ。とイメージして一茶の句に戻ると、私の拙い読みなどはどこかに吹っ飛んでしまい、まこと大川端の長閑さが身体のなかに沁み入ってくるようだ。「一枚の絵は一万語に勝る」(だったと思う)とは、黄金期「少年マガジン」のキャッチフレーズであった。(清水哲男)




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