March 0532003

 鳥雲に子の妻は子に選ばしめ

                           安住 敦

語は「鳥雲に」で春。春になって、北方に帰る鳥が空高く飛翔し、やがて雲に入って見えなくなることをいう。本来は「鳥雲に入る」だった。「鳥雲に入るおほかたは常の景」(原裕)。が、長すぎるので「鳥雲に」とつづめて用いることが多い。息子の嫁は、多く親が決めていた時代があった。そんなに昔のことじゃない。たしか私の叔父も親が決めた女性と結婚したはずだし、子供心にそんなものかと思った記憶がある。極端な例では、親が決めた人の写真も見ずに承知して、結婚した人もいたという。そんな社会的慣習のなかで、作者は「子の妻は子に選ばしめ」た。子供の意志を最大限に尊重してやったわけだが、しかし一抹の寂しさは拭いきれない。北に帰る鳥が雲に入って見えなくなるように、これで我が子も作者の庇護のもとから完全に脱して、手の届かないところに行ってしまうのだ……。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」するという日本国憲法の条文が、風習的にもすっかり根づいた現今では、考えられない哀感である。いまどきの親でも、むろん子供を巣立たせる寂しさは感じるのだけれど、作者の場合にはプラスして強固な旧習の網がかぶさっている。おそらく、あと半世紀も経たないうちに、この句の真意は理解不能になってしまうにちがいない。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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