February 2722003

 うき友にかまれて猫の空ながめ

                           向井去来

語は見当たらないが、句の全体的な意味から「猫の恋」で春。「うき友」は「憂き友」。憎からずおもっていた相手に近寄っていったら、凄い剣幕で「か(噛)まれて」しまった。その後の猫の様子を詠んでいる。失恋だ。何が起きたのか、何故噛まれたのかもよくわからず、ぼおっと空を眺めている猫の姿は、どこか佃公彦あたりの漫画にも通じるようなユーモアを感じさせる。おおかたの現代人はこう読むだろうし、それでもよいのだけれど、生真面目な去来の本意としては、もう少し深刻に読んでほしいというところがあったかもしれない。というのも、本来「ながめ」とは遠くを見渡すことよりも、見つめながら「物思いにふけること」を一義としたからだ。「わが身世にふるながめせしまに」など。つまり、この猫は単に呆然と空を眺めているのではなく、失恋した人間と同じように物思いにふけっているというわけで、一歩も二歩も猫の内面に踏み込んでいる。さぞや苦しかろうと、作者は感情移入しているのだ。こう読んでみると、ユーモアよりもペーソスが滲み出てきて、句の姿はがらりと変わってしまう。となれば、この句、実は猫に託して自分のことを詠んだのではないか。うがち過ぎではあろうが、そんなふうに読んだとしても、いちがいに誤読だとは言えないと思う。『猿蓑』所載。(清水哲男)




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