February 2622003

 春の月上げて広重美術館

                           遠藤睦子

広重
とえば、古句に森川許六の「清水の上から出たり春の月」があり、現代句に小澤克己の「青き月上げて谷間の河鹿笛」があるなど、類想句は多い。要するに、天上の月に対して地上に何を配するかによって、句の生命が定まる仕掛けだ。前者は「清水(寺)」という京の名刹を置いて美々しさを演出し、後者は見えない河鹿のきれいな鳴き声を配して、近代的な寂寥感を詠んでいる。蕪村が天心の月に「貧しき町」を置いて見せたのも、同じ手法と言ってよいだろう。季節は異っていても、これらの句に共通するのは、月夜の美しさを言うことが第一であり、月の下に配するものは、あくまでも月の引き立て役ということだ。掲句の場合は、配するに「広重美術館」を持ってきた。広重を顕彰する美術館は全国に散在しているので、どこの建物かはわからないが、わからなくても差し支えはない。というのも、この句のねらいは、句それ自身の景色を広重の描いた数々の月の絵と呼応させているところにあるからである。平たく言うと、句の景色がそのまま広重の絵の構図になっている。その面白さ。論より証拠。図版は吉原の夜桜見物を描いているのだが、地上にさんざめく人々を消してしまうと、あら不思議、まさに掲句の構図が忽然と浮かび上がってくるではありませんか。『水の目差』(2001)所収。(清水哲男)




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