February 1822003

 電文のみじかくつよし蕗のたう

                           田中裕明

語は「蕗のたう(蕗の薹)」で春。電報が届いた。みじかい「電文」だが、実に簡潔で力強い。読者には祝電か弔電かはわからないが、たとえ弔電にしても、作者は大いに励まされている。折りしも、早春の候。いち早く萌え出た「蕗のたう」のように、その電文は「みじかくつよし」と写ったというのである。「蕗のたう」は電文のありようの比喩であると同時に、作者の心のなかに灯った明るい模様を示していて、説得力がある。それにしても、最近は電報を打つことも受け取ることも少なくなった。昔は冠婚葬祭向けにかぎらず、急ぎの用件には電報を使った。例の「カネオクレタノム」の笑い話が誰にも理解できたほどに普及していたわけだが、いまではすっかり電話やメールに座をあけわたしている。電報代は安くなかったので、頼信紙の枡目とにらめっこしながら、一字でも短くしようと苦労したのも今は昔の物語。若い人だと、電報を打ったことのない人のほうが、圧倒的に多いだろう。……と思っていたら、最近では「キティちゃん電報」なるものが登場して、女の子の間ではけっこう人気があるのだそうな。そしてこのところ、もう一つ増えてきたのは、ヤミ金融業者が「カネカエセ」と発信する督促電報だという。たとえ電話代より高くついても、連日夜中に配達させると、近所の人たちの好奇心をあおることにもなるので、心理的な効果が大きいと睨んだ企みだ。いくら簡潔な電文でも、こいつだけは「蕗のたう」とはまいらない。『先生から手紙』(2002)所収。(清水哲男)




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