February 1622003

 みえねども指紋あまたや種袋

                           小宅容義

語は「種袋(たねぶくろ)」で春。春先になると、花屋や駅構内などの片隅のスタンドに、草花の種の入った紙袋がいっせいに並べられる。けっこう人気があるようで、いつも何人かの人が見ている。私が買うのは、もう少し経ってからの朝顔の種くらいのものだが、ついでに他の花の「種袋」をついつい引き抜いて見ることが多い。おそらくは、みんなもそうしているのだろう。だから、いちばん手前の種袋は、たしかに「みえねども指紋あまた」であるはずだ。その「あまた」に、作者は春本番間近な人々の自然な気運を察して、喜びを感じている。他で、そういうことが気になるのは、たとえば書店で平積みになっている雑誌や本を買うときだろう。ここでもまた「指紋あまた」であることは間違いなく、たいがいの人はいちばん上のものは避けて買っていく。「指紋」というよりも、見ず知らずの人の「あまたの手垢」を感じるからだろう。ところで元雑誌編集者としては、この平積みのいちばん上の雑誌や本を見るのが、いまでも辛い。売り物にならないサンプルというふうには、なかなか割り切ることができないのだ。中身は同じなんだから、上から順番に買ってくれよ、そんなに乱雑に扱うなよ。書店にいると、そこらへんの誰かれに言いたくなってしまう。だから、よほどヨレヨレになっていないかぎりは、いちばん上の「指紋あまた」(のはず)のものを買うことにしている(ただし、パソコン雑誌のCD附録つきのものは別)。出版界へのささやかな私流仁義なのです、これは。でも、種袋となると、いくつかを取っ換え引っ換えし軽く振ってみて、なんとなく重量感のありそうなものを買う。すみませぬ。『俳句研究年鑑・2003年版』所載。(清水哲男)




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