February 1022003

 風光る馬上の少女口緊めて

                           長嶺千晶

語は「風光る」で春。馬場で、乗馬の練習をしているのだろう。馬上のきりりとした少女の姿に、早春のやや尖ったような光る風が、よく似合っている。「口緊(し)めて」に着目したところが、いかにも現代的だ。というのも、この国の戦後の少女たちは、いつの頃からか、日常的に口をあまり緊めなくなってきたからである。半開き、というと大袈裟だが、総体的な印象として、口元がかなりゆるやかだ。少なくとも、句の馬上の少女のように、口をちゃんと結んだ表情には、なかなかお目にかかれない。だから、同性の作者にして、はっとするほどに新鮮に写ったというわけである。嘘だと思ったら、古い映像を見てください。戦前はもとより、写真にしろ映画にしろ、戦後しばらくの間までの少女たちは、自然に口元が緊まっていた。きりりという感じがした。それがいつの間にかゆるやかになってきたのは、何故だろうか。誰かひまな人に、ぜひ文化的考察を加えてもらいたいと思う。昨今のテレビに映る発展途上国の少女の口元が、みな緊まっていることを考えると、一つには経済事情と関係がありそうだが、よくわかりません。「目は口ほどにものを言い」ではないけれど、無言の口元だって、目ほどに何かを表現しているのだ。私の独断と偏見によれば、役柄とは無関係に、自然に口元が緊まっていた最後のスクリーンの上の少女は、デビュー当時の薬師丸ひろ子であった。『今はじめる人のための俳句歳時記・春』(1997)所載。(清水哲男)




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