February 0622003

 鯛焼のはらわた黒し夜の河

                           吉田汀史

語は「鯛焼(たいやき)」で冬。冬は、あつあつに限るからだろう。ところで、掲句の鯛焼は、どう考えてもあつあつとは思えない。むしろ、もう冷めきってしまっている。だから、黒いのは餡ではなくて「はらわた」なのだ。せっかく求めた鯛焼を、何故いつまでも持ち歩いて食べなかったのか。句からは何も事情はわからないけれど、その事情を読者に想像させずにはおかないところが、作者の手柄だと思う。女連れだ。と、これは私の想像だ。そうでなければ、まず男一人で鯛焼を買うことはないだろうし、第一に、寒い夜の河畔にたたずむこともあるまい。たわむれに、二人で鯛焼を買ったまではよかった。が、歩いているうちに込み入った話になり、だんだんお互いに無口になり、気がついたら河畔に立っていたというわけだ。すっかり気まずくなった雰囲気を断ちきろうとするかのように、鯛焼を二つに割ってはみたものの……。「はらわた」のような黒い餡が目に沁みて、なおさらに重苦しい気分に落ち込んでいる。かすかに水面が見えるだけの「夜の河」も、あくまでもどす黒い。その昔、吉村公三郎がはじめて撮ったカラー映画に『夜の河』(1956・松竹)がある。もしかしたら、作者は、この映画を思い出して作句したのかもしれない。道ならぬ恋の二人の間に立ちはだかった動かせないものの象徴として、このタイトルは付けられていた。俳誌「航標」(2003年2月号)所載。(清水哲男)




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