February 0522003

 旅がらす古巣はむめに成にけり

                           松尾芭蕉

語は「むめ(梅)」で春。黒っぽい装束で旅をしている自分を「からす」になぞらえて「旅がらす」。ひさしぶりに「古巣」、すなわち故郷に戻ってみたら、例年のように「むめ」の花が咲き匂っていた。やはり、故郷はいいな。ほっと安堵できる……。句意としてはそんなところで、さして面白味はない。が、ちょっと注目しておきたいのは「旅がらす」の比喩だ。現代人からすると、時代劇や演歌の影響もあって、なんとなく木枯紋次郎などの無宿人や渡世人を想像してしまう。「しょせん、あっしなんざあ、旅から旅への旅がらすでござんすよ」。そんな渡世人の句としても成立しないわけではないが、しかし、芭蕉にはそうした崩した自意識や自嘲の心はなかったはずだ。というのも、この「旅がらす」という言葉は、どうやら芭蕉その人の造語だったようだからである。「これ以前に、用例を見ない」と、古典俳句研究者であった乾裕幸『古典俳句鑑賞』(2002)にある。となれば、ひょっとすると渡世人を指す「旅がらす」も、掲句に発しているのかもしれないと想像できる。これは面白い、使える言い方だと、当時の誰かが飛びついた。それも、はじめは俳人や僧のような黒衣の旅人に限定して言っていたのが、だんだん意味が変わってきてしまったのではないだろうか。最近の国語辞典を見ると、もはや芭蕉が発想したであろうような「旅がらす」をイメージしての定義は載っていない。木枯紋次郎の側に、すっかり傾いている。(清水哲男)




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