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February 0422003

 雪とけて村一ぱいの子ども哉

                           小林一茶

の上では、今日から春。といっても、急に雪が解けるわけではなし、まだまだ寒い日がつづきます。故郷の雪国で詠まれた掲句は、まだ二ヵ月ほど先のものでしょう。春の訪れた喜びを胸「一(いっ)ぱい」に吸い込んでいるような、心地よさがあります。「雪とけて」植物の芽吹きなどに春を感じたという句はヤマほどありますが、「子ども」の出現にそれを象徴させたところが、いかにも一茶らしいではありませんか。冬の間は戸外に遊び場もないので、子どもらは家の中でひたすら春を待ちつづけています。それが、ひとたび雪が解けるや、どこにこんなにたくさんの子どもがいたのかと思うくらいに、いっせいに表に飛びだしてきた。子だくさんは昔の農村の常でしたが、それにしても大勢いたものだなあと、目を丸くして、いや目をほそめている一茶翁。木の芽よりも花よりも、子どもにこそ元気を分けてもらった気分だったのだと思います。かつて私が暮らした山陰の村にもかなりの降雪があり、そしてかなりの数の子どもがいました。人口三千人のうち、二割ほどは子ども(小学生)でした。が、だんだん過疎化が進み、いまではその十分の一くらいに減ったそうで、雪が解けて子どもらが出てきても、もう「一ぱい」という形容はできません。淋しい話です。(清水哲男)


February 0922006

 雪解くる雨だれ落ちつ雪降れる

                           小西鷹王

語は「雪解(ゆきげ・ゆきどけ)」で春。春先にしばしば見かける情景だが、このようにきちんと詠んだ句は珍しい。屋根に積った雪が解けて「雨だれ」となって滴り落ちている上に、また春の雪がちらちらと降ってきているのだ。「雪解」「雨だれ」そして「雪」と道具立てがややこしいので、短い俳句ではなかなか読み難いところを、苦もなく詠んでいるように写る。こうした技術をコロンブスの卵と言うのだろうが、私は大いに感心させられた。技術だけではなく、全体に春近しの情感がよく滲み出ていて、内容的にも十分である。このような日に、私はときどき窓を開けて外の様子を眺める。雨だれに淡く白い雪が降りかかり、降りかかってはすぐに解けてしまう。そんな情景を眺めながら、寒い冬が嫌いなわりには、どこかで冬に惜別の情を感じるような気がするのだから、勝手と言えば勝手なものだ。しかし、掲句で降っている雪は、「雪降れる」の語調からして、もう少し雪らしい雪のようにも思える。となれば、また冬への逆戻りか。いや、もうここまで来ればそんなことはないだろう。などと、作者の内面には冬を惜しむ気持ちはさしてなく、やはり春待つ心に満ちていると言えそうだ。なお、この句が収められている『小西鷹王句集』(2006)は、生前に一冊の句集も持たなかった作者のために、ご子息である小西真佐夫・昭夫氏が三回忌を前にまとめられたものである。(清水哲男)


April 0442010

 雪とけてくりくりしたる月夜かな

                           小林一茶

だまだ寒い日が続いています。と、私がこれを書いているのは、寒気が上空を覆っている3月30日(火)ですが、はてさて4月4日には陽気はどうなっているのでしょうか。この句のように「雪とけて」、穏やかな春の大気に包まれているでしょうか。本日の句、ポイントはなんといっても「くりくり」です。なんだかふざけているような、でも馬鹿らしくは感じさせないすれすれのところの擬音を、さりげなく置いています。心憎い才能です。「くりくり」から思いつくのは、今なら子供の大きな丸い目ですが、当時はどうだったのでしょう。凡人には、いくら頭をひねっても、あるいは幾通りの擬音をためしてみても、こんなふうには出来上がらないものです。結局は持って生まれた才能のあるなしで、文学のセンスは決まってしまうのかと、凡庸な才で日々苦労しているものにとっては、つらい気持ちにさせられます。とはいうものの、今更どうなるものでもなく、たまたま見事な言葉遣いの才が、この人に与えられてしまったのだと気をとりなおし、目をくりくりして、ただ素直に感動することにしましょう。『百人百句』(2001・講談社)所載。(松下育男)


February 1922011

 幻のまぶたにかへる春の闇

                           阿部みどり女

の闇は春の夜の暗さをいうが、残る寒さの中にしんとある闇なのか、仄かに花の香りのする濡れたような闇なのか。早春から晩春、夜の感触は時間を追うごとに、またその時々の心情によって変わる。闇をじっと見つめていると、心の中の面影がふと像を結ぶ。こちらに向かって来るような遠ざかっていくようなその面影を閉じ込めるように、そっとまぶたをとじる。まなうらに広がる闇は、ありし日の姿と共に明るくさえ感じられるだろう。この句は、「二月十二日夫逝く、二句」と前書きがあるうちの一句。その直前に「一月十一日長男逝く」とあり〈遅々と歩す雪解の道の我ありぬ〉〈コート黒く足袋眞白に春浅き〉の二句。相次ぐ悲しみにその境涯を思うが、掲出句の、春の闇、に最も心情がにじむ。今年の二月も半ば過ぎて身の回りに相次ぐ訃報、春の闇に合掌。『笹鳴』(1945)所収。(今井肖子)


September 2792014

 豊年の畦といふ畦隠れけり

                           若井新一

米が味わえるうれしい季節、電車で少し遠出をすればまさに黄金色の稲田が車窓のそこここに広がっている。農業技術が進歩し、全てお天道様頼みだった昔と違い豊年と凶年の差はさほどなくなっているかもしれないが、食べる一方で米作りの苦労を知らない身でも、豊年、豊の秋、という言葉には喜びを感じる。この句の作者は新潟生まれ、句集『雪形』(2014)のあとがきには「日本でも屈指の豪雪地帯で、魚沼コシヒカリを作っている」とある。<畦々の立ち上がりたる雪解かな ><土の色出で尽したる代田掻 ><霊峰や十指せはしき田草取 ><かなたまで茎まつすぐに稲の花 >。日々の実感から生まれる確かな句。ことに掲出句の視線の高さは、大地に立ち一面に実った稲田を見渡している者ならでは、見えない畦を詠むことで一面の稲穂が見える。早春、雪が解けてやっと立ち上がった畦が見えなくなるほどの今の実りを前にしている感慨、ここには豊年の言葉が生きている。(今井肖子)


November 14112014

 帰る家が見つかったかいつばめさん

                           如月はつか

に燕は遠く台湾や東南アジアより飛来し秋には帰る。「燕」が春の季語なら「帰燕」は秋の季語である。日本の各地で子を孵し育てる。夏の間市街地や村落で育った若い燕も次第に郊外の河原の葦原、海岸、湖沼などに集まる。ここに子育てのすんだ親鳥たちも合流し大群となり日本を離れてゆく。慣れ親しんだ彼らも今は帰り、街は心なしか淋しくなった。遠いお国に無事着いて安住の家が見つかっただろうか。旅のつばくろ達者で居てね。<結末の分かっている恋雪解風><ブティックのShow windowのみ春の風><独り泣くいつの間にやら虫が鳴く>など。大人に成る前の作者のつぶやきが聞こえる句集。思春期の危うくも敏感な感受性もやがて大人になって錆びついて鈍くなってゆくのだろう。命短し恋せよ乙女、脱線した、面目ない。『雪降る予感』(1993)所収。(藤嶋 務)


March 0432015

 竹聴いて居る春寒の厠かな

                           尾崎紅葉

月4日の立春から一箇月過ぎても、まだ冬を思わせる日がある。春とは言え寒気はまだ残っている。「春寒」は「余寒」と同じような意味があるけれど、「春寒」は「春」のほうに重心がかかり、「余寒」は「寒」のほうに重心がかかるというちがいがあるようだ。「竹聴いて」は、厠の外に植えられている何本かの竹の枝葉を吹き抜ける風、まだ寒さの残るういういしい春風のかすかな音に、耳傾けているように思われる。厠でしばし息抜きをしている売れっ子文士の、つかの間の時間がゆったりと流れている。厠はまだ寒いけれど、春がすぐそこまで近づいていることに対する、うれしさも感じられるようだ。「竹」と「厠」の対応がしっくりして感じられる。紅葉は子規の「日本派」と対立する結社「秋戸会」の代表幹部だった。その俳句は小説家の余技の域を超えていたし、本格的に苦吟に苦吟を重ねたと言われる。死後に『紅葉山俳句集』『紅葉句帳』『紅葉句集』などが刊行された。他に「雪解や市に鞭(むちう)つ牛の尻」「子雀や遠く遊ばぬ庭の隅」など、本格的である。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 1712016

 鉛筆の芯に雪解の匂ひかな

                           武井伸子

筆の芯に鼻を近づけると甘い匂いがします。これを雪解の匂いとしたところに飛躍があって新鮮です。たしかに、雪解は早春の草木がかすかに発する息吹を運んでくれるのかもしれません。キーボードやタブレット使用が一般的な現在、鉛筆を使う人はめっきり減りましたが、昨日今日は大学入試センター試験です。全国693箇所で56万本の鉛筆が動くとき、それぞれの会場には甘い香気が漂うのでしょう。受験生は、今まで蓄積してきた知識を鉛筆の芯に託して、堅固な意志を鋭角に削られた鉛筆の先に宿します。問一、問二、問三、「やれそう、やれる」という手応えは、受験生を緊張から解放してランナーズハイに似たある種の快楽へと誘います。「雪解」は春の季語ですが、受験生たちは、いち早くその匂いを実感しているのではないでしょうか。「ににん」(2016年・冬号)所載。(小笠原高志)


February 2822016

 山吹にしぶきたかぶる雪解滝

                           前田普羅

月末に、正津勉著『山水の飄客 前田普羅』(アーツアンドクラフツ)が上梓されました。大正初期に頭角を現してきた虚子門四天王に、村上鬼城、飯田蛇笏、原石鼎、そして、前田普羅がいます。しかし、他の三人が著名なのに比べて普羅の名は知られておらず、また、秀句が多いのにもかかわらず手に入りやすい句集がなく、その句業や生涯についても謎めいたところのある人です。この本は、俳壇において日陰者の境涯に追いやられてきた普羅の生涯に光を当て、また、年代順に取りあげられた句には普羅自身の自解も多くほどこされており、しばしば膝を打ちながら読みました。たとえば、句作に日が浅い29歳(大正1)の作に「面体をつつめど二月役者かな」があって、これなどは自解があってようやく腑に落ちます。「町を宗十郎頭巾をかぶつた男が通る。幾ら頭巾で面体を隠しても、隠せないのは体から滲み出る艶つぽさだ。役者が通る、役者が通る。見つけた人から人に町の人はささやく。暖かさ、艶やかさを押しかくした二月と、人に見られるのを嫌つて面体をつつんだ役者の中に、一脈の通ずるものを見た」と説明されて、ここの舞台は横浜ですが、江戸と文明開化がさほど遠くないご時世をも伝えてくれています。この小粋な中に屈折した句作は、渓谷をめぐり始めることによって「静かに静かに、心ゆくままに、降りかかる大自然に身を打ちつけて得た句があると云ふのみである」(『普羅句集』序・昭和5)と宣言して、山水に全身で入り込む飄客となっていきます。掲句はその中の一つ。「山吹/しぶき/たかぶる」の三つのbu音が、「雪解滝」のgeとdaに連なって、早春の滝のしぶきの冷たい飛沫を轟音の濁音で過剰に描出しつつも、山吹を定点に据えることによって画角がぶれていません。動には静がなければ落ちが着かないということでしょう。掲句を、肌と耳の嘱目ととりました。この本から、普羅は山吹に思い入れのある俳人であることも知り、その佳句は多く、「鷹と鳶闘ひ落ちぬ濃山吹」「山吹の黄葉ひらひら山眠る」「青々と山吹冬を越さんとす」がつづきます。(小笠原高志)




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