February 0222003

 白き巨船きたれり春も遠からず

                           大野林火

語は「春」。……と、うっかり書きそうになった。試験問題に出したら、間違う生徒がかなりいそうだな。正解は「春も遠からず(春近し・春隣)」で、冬である。林火は横浜に生まれ育った人だから、こうした情景には親しかった。大きくて白い、たぶん外国船籍の客船が、ゆったりと入港してくる。その「白き巨船」が、まるで春の使者のようだと言っている。むろん、船と季節との直接的な因果関係は何もないのだけれど、このように詠まれてみると、なるほど「春も遠からず」と思えてくるから面白い。私は山育ちだから、船が入港してくる様子などは、ほとんど知らない。知らなくても、しかし掲句には説得される。何の違和感も覚えない。何故なのだろうか。たぶん、それは「白き巨船」の「白」という色彩のためだろうと思う。これが、たとえば「赤」だったり「黄」だったり、その他の色だったりすると、なかなか素直にはうなずけそうもない気がする。多くの色のなかで、白色が最も光りを感じさせる。すなわち「巨船」はこのときに、大きな光りのかたまりなのである。そしてまた、来る春も光りのかたまりなのだから、ここで両者の因果関係が成立するというわけだ。ま、この句を、こんなふうなへ理屈を言い立てて観賞するのはヤボというものだろう。が、読後、私のなかで起きた「光りのかたまり」の美しいイメージのハレーション効果を忘れないために、ここに置いておこうと思ったのでした。『海門』(1939)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます