January 1512003

 雪にとめて袖打はらふ駄賃かな

                           西山宗因

因は江戸前期の人で、元来は肥後八代の武家であったが、浪人して連歌師となり、のち俳諧に転じた。談林派の祖で、門下には西鶴もいた。現代の俳句から、まったくと言ってよいほどに影をひそめたのが、このような詠み方だろう。前書に「古歌なをしの発句にとてつかうまつりしに」とある。いわゆる「本歌取り」という手法で、意識的に先人の作の用語や語句などを取り入れて作る方法だ。掲句は、有名な藤原定家の「駒とめて袖打ち払ふ蔭もなし佐野の渡の雪の夕暮」を踏まえて作られている。宗因はこれを、旅の途中で激しい雪にあい、折りよく通りかかった馬子を「とめて」、「袖打はらふ」ほどのなけなしの銭で、高い「駄賃(だちん)」を支払ったと換骨奪胎した。定家の雅を俗に転じた機知と滑稽。「く〜だらねえっ」と、いまどきの俳人はソッポを向きそうだけれど、なかなかどうして、したたかで面白い句だ。遊びには違いないが、貴人定家の上品趣味をからかうと同時に、庶民の自嘲的哀感がよく出ているし、俗に生きなければ生きられない庶民の土性骨も感じられる。ところで、この定家の歌そのものが『万葉集』の「苦しくも降りくる雨か三輪が崎佐野の渡に家もあらなくに」の本歌取りであることは、よく知られている。定家は万葉の俗を雅にひっくり返し、それをまた宗因がひっくり返してみせた。凡手のよくするところではあるまい。(清水哲男)




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