January 1312003

 筆始浮き立つ半紙撫で押へ

                           渡辺善夫

語は「筆始(ふではじめ・書初)」で新年。あっと思った。この感触、この手触り。思い出したのだ。そうだった。中学時代までは書初の宿題があり、正月休みには必ず書いたものだった。半紙を広げて緑色の下敷きの上に置くときに、ふわっと浮き上がるので、掲句の通りに「撫で押へ」てから書いた。小さい半紙ならば、上部を文鎮(ぶんちん)で押さえてやれば、すぐに下敷きに密着したが、大きいものになると、そうはいかない。あちこち「撫で押へ」ても、なかなか静まってくれなかったつけ。もう半世紀も前のことを、掲句のおかげで、かなりはっきりと思い出すことになった。中学二年のときは、天井近くから吊るすほどの大きな書初を書かされたので、とくにあのときのことを。何という文字を書いたのかは覚えていないけれど、そのときの部屋の様子だとか、まだ元気だった祖父や祖母のことなどが次々に思い出されて、いささかセンチメンタルな気分に浸ってしまった。半紙は非常な貴重品だったので、練習には新聞紙を何枚も使ったものだ。したがって、本番になるといやが上にも緊張の極となる。失敗は許されないから、慎重に何度も「撫で押へ」て、……。で、書き終えて、乾かしてからくるくると墨で凹凸のできた半紙を巻くときの感触までをも思い出したのだった。あんなに真剣に文字を書いたことは、以来、一度もない。地味ながら、書初の所作のディテールをしっかり捉えていて、良い句だと思う。「浮き立つ」の措辞も、正月気分にぴったりだ。『明日は土曜日』(2002)所収。(清水哲男)




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