January 0712003

 鏡餅のあたりを寒く父母の家

                           林 朋子

場のオフィスに飾ってあった「鏡餅」に、正月二日ころから黴がつきはじめた。暖房のせいだ。鏡開きの十一日(地方によって違いはあるが)までは、とても持ちそうもない。オフィスでなくとも、最近の家庭の暖房も進化したので、たくさんの部屋があるお宅は別にして、お困りのご家庭も多いことだろう。団地やマンションなど密閉性の高い住居だと、もう黴が生えていたとしても当然である。たぶん、作者の普段の住居もそんな環境にあるのだ。それが、新年の挨拶に実家に出向いてみると、黴ひとつついていない。堂々としたものである。飾ってあるところは、昔ながらの床の間か神棚だろう。黴ひとつないのは、むろん部屋全体が寒いためなのだけれど、それをそう言わずに、あえて「鏡餅のあたりを寒く」と焦点を鏡餅の周辺に絞り込んだところに、作者の表現の粋(いき)が出た。同時に、日ごろの「父母」の暮しのつつましさに思いが至ったことを述べている。正直言って、自分の家に比べるとかなり寒い。こんなに寒い部屋で、父母はいつも暮らしているのか。そして、かつての私も暮らしていたのか。ちょっと信じられない思いのなかで、作者はあらためて、これが「父母の家」というものなのだと感じ入っている。『眩草』(2002)所収。(清水哲男)




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