January 0612003

 羽子板に残る遊侠世紀晴

                           的野 雄

助六
きを助け、強気をくじく。おとこだて。任侠。「遊侠(ゆうきょう)」という言葉も、とんと聞かれなくなつた。死語である。句の言うように、わずかにその姿を現代にとどめるのは、芝居(歌舞伎や時代劇)であり、昔ながらの「羽子板」の絵だ。遊侠の人がヒーローたりえたのは、単純に言うと、社会の仕組みがよく見え、したがって理不尽な行いをする人の姿もよく見えていた時代ならではのことで、現今のような不透明な社会システムでは、道化にすらなれるかどうか。人々が土地や家、さらには家業に一生縛りつけられる運命(さだめ)のなかで、それらの絆を断ち切って生きる姿への庶民の憧憬と共感も、必要条件だった。遊侠は、庶民の心の片隅にいつもあった自由への願望を拡大して体現した世界と言えるだろう。といって、実際の遊侠の徒が本質的に庶民の味方であり得たわけもなく、そこはそれ庶民のしたたかな知恵で、都合のよろしき部分のみを抽出拡大し、娯楽として楽しんだ側面が強い。掲句の「世紀晴」は造語で、21世紀初頭の晴天のこと。大時代めかした「世紀晴」という表現であるがゆえに、古風な羽子板とよくマッチし、失われた遊侠に寄せる作者の感傷がしみじみと漂ってくる。写真は、歌舞伎十八番の一『助六由縁江戸桜』に取材した助六。曾我五郎時致は宝刀友切丸を探しに「助六」という侠客になり、吉原に入り込んで、花魁「揚巻」の情夫となった。そこに揚巻のもとに通っていた意休という客がいて、彼こそが友切丸を盗んだ伊賀平内挫左衛門と判明。そこで意休を殺害し、友切丸を持って吉原を抜け出す……。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)




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