January 0312003

 勝独楽は派手なジャケツの子供かな

                           上野 泰

語は「独楽(こま)」で新年。凧(たこ)と並んで、正月の男の子の代表的な玩具だった。情景は喧嘩独楽で、同時に回して相手をはじき飛ばしたほうが勝ち。たまたま通りかかった作者が、勝負や如何にと眺めていると、勝ったのは「派手なジャケツの子供」だった。それだけの句であるが、ここには作者の「やっぱりね」という内心がのぞいている。むろん「派手なジャケツ」は親に着せてもらっているのだけれど、その子供がその場を仕切る、ないしは支配する雰囲気とよくマッチしていて、「やっぱりね」とつぶやくしかないのである。こういう子供はよくいるものだし、私が子供だったころにもいた。そして面白いのは、この子に支配された関係が、大人になってもつづいていくことだ。クラス会などで出会うと、職業も違い、住んでいる場所も離れていてすっかり忘れていたのに、会った途端から、すうっと昔の関係に戻ってしまう。思わずも、身構えたくなったりする。これは、どういうことなのか。作者はおそらく、そうした未来の関係をも見越した上で、詠んだのではないだろうか。「派手なジャケツの子供」は一生涯派手にふるまい、地味で負けてばかりいる子供は、一生ウダツが上がらない。と、ここまで言うと極端に過ぎようが、しかし、子供のころに自然にできあがった関係は、なかなか解消できるものではないだろう。自分の子供時代を振り返ってみると、いちばんよくわかるはずだ。『佐介』(1950)所収。(清水哲男)




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