December 29122002

 着ぶくれて客観といふよりどころ

                           正木浩一

語は「着ぶくれ」で冬。俳論に「客観」は頻発するが、この言葉をそのまま俳句に詠み込んだのは、この人くらいのものだろう。でも、実によく効いている。寒いので「着ぶくれ」て、しかし、いくらなんでも着込みすぎたのではないか。不格好に過ぎやしないか。そんな思いで、作者は外出したのだ。そんな思いがあるから、普段は気にもとめない通りすがりの人々の服装に、つい目がいってしまう。ちらちらと眺めているうちに、けっこう着ぶくれている人が多いことに気がついた。なかには、自分などよりもよほど大袈裟な感じで着込んでいる人までいる。なあんだ。うじうじと着ぶくれを気にしていたさきほどの心細さが薄れてきて、ほっとしている。すなわち、他者と我とを見比べる「客観」が「よりどころ」になっての安堵なのである。この句で、思い出した。詩人の田村隆一が酔って転んでしばらく杖をついていたときに、聞いたことがある。「君ねえ、なんとまあ、世の中には杖をついてる奴がうじゃうじゃいることか」。つまり、杖をついているのは俺だけじゃなかったんだと、そこで詩人はほっとしていたわけで、これまた掲句の「客観」に通じて得られた安堵感だろう。人は、なかなか厳密な意味での客観性を持つことはできない。人は自分に似たような人しか見えないものだし、理解できない。言外に、そういうことを言っている句だと思う。「効いている」と感じた所以である。『正木浩一句集』(1993)所収。(清水哲男)




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