December 22122002

 クリスマス馬小屋ありて馬が住む

                           西東三鬼

戦後、三年目(1948)の作。このことは、解釈にあたって見落とせない。クリスマスから「馬小屋」を連想するのは自然の流れであり、馬小屋に「馬が住む」のも当たり前である。が、そういうことが必ずしも当たり前ではなかった時代があった。茶木繁が昭和十五年(1940)に書いた、次の詩を読んでいただきたい。タイトルは「馬」。「馬はだまっていくさに行った 馬はだまって大砲ひいた/馬はたおれた 御国のために/それでも起とうと 足うごかした 兵隊さんがすぐ駆け寄った/それでも馬はもう動かない/馬は夢みた 田舎のことを/田んぼたがやす 夢みて死んだ」。もとより「兵隊さん」もそうだったが、万歳の声に引きずられるように戦地に駆り出され、ついに帰ってこなかった農耕馬たちは数知れない。したがって戦後しばらくの間、馬小屋はあっても、馬がいない農家は多かったのだ。だから、作者は馬小屋に馬がいることにほっとしているというよりも、ほとんど感動している。馬小屋でキリストが誕生したお話などよりも、馬小屋に当たり前に馬がいることのほうが、どれほど心に平安をもたらすか。敬虔なクリスチャンを除いては、まだクリスマスどころではなかった時代の、これは記念碑的な一句と言えるだろう。『西東三鬼全句集』(1971)所収。(清水哲男)




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