December 20122002

 届きたる歳暮の鮭を子にもたす

                           安住 敦

よそ士農工商、互に歳暮を賀す。と、歳暮は江戸時代からの風習で、元来は餅や酒など食品を贈ったようだ。したがって、句の「鮭」はならわしにのっとった歳暮ということになる。「ほうら、大きいだろう」。作者は箱から取りだした鮭を、「持ってごらん」と子供に差し出した。抱えてみて、その大きさと重さにびっくりした子供の様子に、微笑を浮かべている。見た目にはそれだけの、師走の家庭でのほほ笑ましい一齣だ。が、この句にはちょっとした淡い含意がある。口にこそ出してはいないが、作者は子供に対して、鮭の大きさを自慢しているのだ。故郷からの歳暮であれば、内心で「どうだ、父さんは、こんなに大きな鮭がたくさん獲れるところで育ったのだぞ」とでも……。また、故郷とは無関係の人からのものであれば、こんなに立派な歳暮をくれる親しい友だちがいることを、やはり自慢している。子供相手に他愛ないといえばそれまでだけれど、こういう気持ちは誰にでも多少ともあるのではなかろうか。少なくとも、私にははっきりとあります(苦笑)。そんな隠し味を読むことで、はじめて、何でもないような情景が句として立ち、味が出てくるのだと思った。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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