December 07122002

 母にのこる月日とならむ日記買ふ

                           古賀まり子

記帳を買うときには、誰でも来年に対する思いがちらと頭をかすめる。どんな年になるのだろう……。そんな思いがあるので、素直に「日記買ふ」が季語として受け入れられてきたのだろう。私が市販の日記帳を買っていたのは十代のときまでだったから、頭をよぎったのは進級だとか受験だとかと、学校にからんだことが多かったような記憶がある。まことに暢気にして、かつ世間が狭かった。掲句からは、作者の母親が重い病気であることが知れる。この新しい日記のページのどこかで、ついに不吉なことが起きるかもしれない。考えたくもないけれど、現実をうべなえば「母にのこる月日とならむ」とつぶやかざるを得ないのである。作者自身が若年のころから病弱で、母一人子一人の生活だったと、何かで読んだ記憶がある。たしか「死に急ぐな」と、母に叱咤された句もあったはずだ。それだけに、なおさら母親のことが我が身にのしかかってくる。年の瀬。はなやかな日記帳やカレンダーの売り場で、どれを買おうかと選っている人の姿をよく見かける。胸中には、どんな思いが秘められているのだろうか。このような句を知ってしまうと、ふっとそういう人たちの顔を見たくなったりする。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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