December 06122002

 土は土に隠れて深し冬日向

                           三橋敏雄

たり前のことを言うようだが、「土(つち)」には深さがある。だが、川や海の深さのようには、あるいは土の上に積もる雪の深さのようには、土のそれを、日ごろは気にも止めずに過ごしている。また、しばしば詩人は空の深さを歌ってきたけれど、土については冷淡なようだ。このことは、おそらく深さの様相が可視的か否かに関連しているのだろう。「土は土に隠れて」いるので、深さを見ることができない。見ることができない対象には、なかなか想像力も働かない。ちょっとした穴を掘れるのも、大根を引っこ抜けるのも、むろん土に深さがあるからだ。なのに、そうしたときにでも、あらためて土の深さを観念的にも感じることがないのは、面白いといえば面白い。ところが、掲句を読めば、ほとんどの人が素直に句意にはうなずけるだろう。土の深さを実感するだろう。極端には「凍土(とうど)」というくらいで、とりわけて冬の土は冷たい地表のみが際立つ。霜柱の立つような表面だけを、私たちはフラットに意識する。が、たまたま心に余裕があって「日向」にたたずみ、明るい土を眺めることができるとすれば、表面的にも柔らかく見える土の可視的な表情から、自然に深さ(言い換えれば「豊饒」)を感じ取ることになるのだと思う。昨日の東京は格別に暖かく、日向にあって、こんなふうに実感した人も少なくないだろう。私も、その一人だったので、この句をみなさんにお裾分けしておきたくなったという次第だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(清水哲男)




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