December 04122002

 冬枯や墾き捨てたるこのあたり

                           河東碧梧桐

味な句だが、ただの「冬枯(ふゆがれ)」でないところに、新しさを求めてやまなかった碧梧桐らしさがある。「墾き」は「ひらき」。一度は、人の手の入った荒れ地の冬枯れだ。そう遠くはない過去に、誰かが開墾した痕跡が歴然と残っている。区画がはっきりとしているだけではない。冬枯れた雑草に混じって、かつてここに植えられていたと思われる野菜などの末裔も見えているのだろう。種が自然にこぼれ散って、自然に生えてきたのだ。土地が痩せすぎていたのか、あまりに水の便でも悪かったのか、それとも墾いた人のまったく別の事情によるものなのか。いずれにせよ、墾いた人の目論みはあっけなく挫折してしまったのだ。そんなふうに、打ち捨てられた「このあたり」には、いつもいろいろなことを想像させられる。ドラマを感じる。ましてや今は寂しくも侘しい冬枯れの景を眼前にしているのだから、ドラマはより暗いほうへと傾いていく……。「このあたり」がどのあたりなのかは知る由もないけれど、そんなに人里離れた土地ではないだろう。ぶらりと散歩にでも出れば、すぐ近くにあるような場所だと思う。昭和の初期くらいまでは、まだどこにも土地が潤沢に余っていた。だから、案外あっさりと「墾き捨て」ることができたのかもしれない。『現代詩歌集』(1966・河出書房)所載。(清水哲男)




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