December 03122002

 雪の降る町といふ唄ありし忘れたり

                           安住 敦

に雪がちらついている。歩きながら作者は、そういえば「雪の降る町といふ唄」があったなと思い出した。遠い日に流行した唄だ。何度か小声で口ずさんでみようとするのだが、断片的にしか浮かんでこない。すぐに、あっさり「忘れたり」と、思い出すのをあきらめてしまった。それだけの句ながら、この軽い諦念は心に沁みる。かくし味のように、句には老いの精神的な生理のありようが仕込まれているからだ。すなわち「忘れたり」は、単に一つの流行り唄を忘れたことにとどまらず、その他のいろいろなことをも「忘れたり」とあきらめる心につながっている。若いうちならば、どんなに些細なことでも「忘れたり」ではすまさなかったものを、だんだん「忘れたり」と早々にあきらめてしまうようになった。そういうことを、読者に暗示しているのだ。そうでなければ、句にはならない。唄の題名は、正確には「雪の降る街を」(内村直也作詞・中田喜直作曲・高英男歌)だけれど、忘れたのだから誤記とは言えないだろう。歌詞よし、曲よし。私の好きな冬の唄の一つだ。しかし長生きすれば、きっとこの私にも、逃れようもなく「忘れたり」の日が訪れるのだろう。せめてその日まで、この句のほうはちゃんと覚えていたいものだと思った。『柿の木坂雑唱以後』(1990)所収。(清水哲男)




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