November 21112002

 他所者のきれいな布団干してある

                           行方克巳

語は「布団(蒲団)」で冬。昔の農村の一光景だろう。すらりと読めば、村人たる作者が「きれいな布団」を干している「他所者(よそもの)」を白眼視している構図が浮き上がってくる。このときに「きれいな」とは、まことに底意地の悪い毒のある言葉だ。だが、この句はそんなに単純な構図を描いているわけではない。田舎に他所者として暮らした経験のある私には、作者の気持ちがよくわかるような気がする。すなわち、ここで他所者とは他ならぬ作者自身のことなのだからだ……。よく晴れた冬の日に、作者は越してきて間もない集落の家々を遠望している。どの家も布団を干しているが、なかでひときわ目立つ布団があった。我が家の布団だ。他の家の布団の地味な柄に比べると、どうしようもなく派手に写っている。そう見えた途端に、作者は他所者の悲哀を感じて、落ち込んでしまったに違いない。一日でも早く共同体に同化したいというのが他所者の切なる願いだから、これにはまいった。普段の立ち居振る舞いなど、なるべく目立たないように心がけてはいても、自宅の部屋の中ではごく普通に見えていた布団の柄が、かくも白昼赤裸々に他所者の家でしかないことを證しているとは……。「きれい」が恥であり、自嘲に通じる時代が確かにあった。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます