November 11112002

 西へ行く日とは柿山にて別る

                           山口誓子

子の山の句ばかりを集めたアンソロジー『山嶽』(1990・ふらんす堂)の編者後書きに、こうある。「美濃に、富有柿を一山に植え盡した柿山がある。ここの山は日だまりで、十二月に入っても硬質で大粒の柿を樹に成らせる。葉が落ち盡した裸木に赤い美事な実は枯れ一面の中に鮮かである」(松井利彦)。想像しただけで、見事な情景が浮かんでくる。実際に、見てみたくなった。よく晴れた日に、作者が見ているのは午後の遅い時間だろう。句は「別る」と押さえていて、既に日が没し(かかっ)た状態とも読めるが、そうではあるまい。「別る」は、別れることが決まっている切なさをあらかじめ先取りしているのであり、それゆえに眼前の一刻の景色を大切にする気持ちの現われを表現している。なだらかな山の上の数えきれないほどの柿の実に、まだまんべんなく日があたっていて、その朱色がいっそう輝いている時間なのだ。しかし、秋の日はつるべ落とし。間もなく「西へ行く日」とは別れねばならない。そして同時に、この柿山の美しさとも……。なお、深読みに過ぎるかもしれないが、初見のときの私には「日と」が「ひと」とのダブルイメージとなって、染み入ってきた。いずれにせよ、極めて格調の高い名句と言えよう。(清水哲男)




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