November 03112002

 うごく大阪うごく大阪文化の日

                           阿波野青畝

来が「明治節(明治天皇の誕生日)」だった祝日だけに、戦後できた「文化の日」の句には、まともに向き合わず斜に構えたものか、あるいは逆にひどく生真面目にとらえたものがほとんどだ。掲句はどちらかといえば前者に属するが、といって、この日をさげすんだり茶化しているわけではない。「『文化の日』も大いに結構や。が、東京みたいなすましとる文化は好かん」と、言外に言っている。「うごく大阪うごく大阪」のリフレインに、猥雑なほどに活気のある大阪の庶民文化を称揚し、また大阪人のそうした躍動するエネルギーこそが文化の源泉なのだと言っている。ダイナミックかつ不敵な異色の一句として、印象に残る句だ。東京の人は逆立ちしても、こういうふうには詠めないだろう。話は変わるが、「文化とは何か」という難しい問題は別にして、私たちはなぜ文化という言葉が好きなのだろうか。見渡せば、文化国家、文化都市、文化村、文化人、文化勲章、文化功労、あげくは文化住宅、文化センター、文化風呂、文化シャッター(これは商品名)、文化食品、文化包丁、文化鍋と枚挙にいとまがない。あまり知られていないようだが、戦後に魚の干物をセロファンに包んで売ってヒットした「文化干し」もあるし、キリスト教布教を目的に発足したことは知られていないが、東京では有名な「文化放送」なるラジオ局もある。とにかく本日は「文化の日」です。何だかよくわかりませんが、日本人としては「文化バンザイ」と三唱しておこうではありませんか。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)




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