October 27102002

 頂上や殊に野菊の吹かれ居り

                           原 石鼎

んなに高い山の「頂上」ではない。詠まれたのは、現在は深吉野ハイキングコースの途中にある鳥見之霊時(とみのれいじ)趾あたりだったというから、丘の頂きといったところだろう。鳥見は神武天皇の遺跡とされている。秋風になびく草々のなかで、「殊(こと)に」野菊の揺れるさまが美しく目に写ったという情景。ひんやりとして心地よい風までもが、読者の肌にも感じられる。句は大正元年(1912年)の作で、当時は非常に斬新な句として称揚されたという。何故か。理由は「頂上や」の初五にあった。山本健吉の名解説がある。「初五の や留は、『春雨や』『秋風や』のような季語を置いても、『閑さや』『ありがたや』のような主観語を持ってきても、一句の中心をなすものとして感動の重さをになっている。それに対して『頂上や』はいかにも軽く、無造作に言い出した感じで、半ば切れながらも下の句につながっていく。その軽さが『居り』という軽い結びに呼応しているのだ。『殊に』というのも、いかにも素人くさい。物にこだわらない言い廻しである。そしてそれらを綜合して、この一句の持つ自由さ、しなやかさは、風にそよぐ野菊の風情にいかにも釣り合っている」。言い換えれば、石鼎はこのときに、名器しか乗せない立派な造りの朱塗りの盆である「や」に、ひょいとそこらへんの茶碗を乗せたのだった。だから、当時の俳人はあっと驚いたのである。いまどきの俳句では珍しくもない手法であるが、それはやはり石鼎のような開拓者がいたからこそだと思うと、この句がいまなお俳句史の朱塗りの盆に乗せられている意味が理解できる。『花影』(1937)所収。(清水哲男)




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