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October 14102002

 赤い羽根失くす不思議を言ひ合へる

                           岡本 眸

月は「赤い羽根」をシンボルとする共同募金の月。募金方法の多様化効率化に伴い、最近は赤い羽根を胸につけた人の姿が減ってきたけれど、「赤い羽根関所の如く売られおり」(布目芳子)の「関所」全盛期には、小学生も含めてかなりの人がつけていた。ところで、言われてみれば、なあるほど。あの羽根は、毎年、煙のように掻き消えてしまう。たいていの人が意識して捨てることはないだろうに、いつの間にやらふっと「失く」なってしまうのである。全国的に膨大な量が出回るわけだが、いったい、どこに消えていくのだろうか。たしかに「不思議」な話だ。さて、豆知識。「『赤い羽根』を共同募金のシンボルとして使ったのは、アメリカが最初です。1928年からアメリカの一部の地方において、水鳥の羽を赤く染めて使っていました。(現在ではシンボルマークを使用)これにヒントを得て、日本でも1948(昭和23)年、第2回の運動から「赤い羽根」をシンボルとして使うことになりました。日本では『家きん』(食用)として飼育されていて手に入れやすく、柔らかい感じのニワトリの羽を使っています。最近では中国から輸入する赤い羽根も出回っています。赤い羽根は一本あたり1.6円です」(「共同募金」ミニコラム)。近年は、インターネットでも募金できるそうだ。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


October 13102004

 赤い羽根つけてどこへも行かぬ母

                           加倉井秋を

語は「赤い羽根」で秋。厳密に言うと、募金期間は大晦日までなので冬の季語として使ってもよいわけだが、普通は賑々しい街頭募金の行われる秋に限定して使っている。句の「母」は明治生まれ。いわゆる職業婦人は別として、昔の専業主婦はめったに外出はしなかった。いや、できなかったと言うべきか。大正初期生まれの私の母も、よほどのことがない限り、いつも家にいた。そんな母が、赤い羽根をつけている。羽根は募金をした印なのだから、外出しなければ必要がない。意味がない。でも彼女は、「どこへも行かぬ」のに律儀に胸につけて家の中で立ち働いているのだ。愚直なほどに古風な女性像が浮かび上がってくる。たまにはお母さんも、家のことなど放っておいて外出すればいいのにと、優しく母を思いやる気持ちの滲んだ句だ。ここで理屈っぽい人なら、何故どこへも外出しない人が赤い羽根を所持しているのかと訝るかもしれない。回答は簡単で、彼女は各家庭をまわってくる募金ボランティアに応じただけの話である。派手な駅頭などでの募金は募金額の総体に比べればわずかなもので、主たる収入源は家庭や企業に訪問しての寄付募金だと関係者に聞いたことがある。単純に考えても、駅頭での募金額と玄関先でのそれとでは一桁は違ってきそうだ。ましてや相手が企業ともなれば、数桁の差は見込めるだろう。脱線しそうになってきたのでこのあたりで止めておくが、それにしても赤い羽根をつけて歩いている人をあまり見かけなくなってきた。今日もつけているのは、一部の国会議員くらいなものではなかろうか。『炎還・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


October 14102005

 赤い羽根つけ勤め人風情かな

                           清水基吉

語は「赤い羽根」で秋。最近は、つけている人を街であまり見かけなくなった。見かけるのは、ほとんどがテレビに出てくるアナウンサーだとか国会議員だとか、いわば特殊な職業の人ばかりだ。この赤い羽根は、昭和二十二年に「少年の町」のフラナガン神父のすすめで、佐賀と福岡ではじまった民間の社会福祉活動である。以後、赤い羽根という斬新なアイデアの魅力も手伝って、たちまち全国展開されるようになった。ひところは季節の風物詩と言っても過言ではないくらいに普及し、街頭募金も大いに盛り上がったものである。掲句は、そのころの作句だろう。みんなと同じように募金して羽根をつけてはみたものの、考えてみれば自分はしがないサラリーマンでしかない。そんな「勤め人風情」が事もあろうに人助けとは、なんだかおこがましいような気がする。いいのかな、こんなことをして……。と、自嘲の心が消せないのである。私も若いころから、民間の福祉活動については(その善意を否定するのではないが)、疑問を持ってきた。本来は国家の福祉制度が充実していればすむ部分をも、民間に任せてネグレクトしているのが許せないからだ。したがって、国会議員が赤い羽根をつけるなどは笑止の沙汰で、自分たちの福祉政策の脆弱さ加減をみずから認めているようなものなのである。彼らにはおよそデリカシーというものが無いらしく、その欠如がいまやこれまで積み上げてきたささやかな公的福祉すらをも切り捨てにかかってきた。それこそ福祉の民営化だ。「勤め人風情」が羽根をつけなくなったのも、当然だろう。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 04102007

 すぐ失くす「赤い羽根」とはおもへども

                           吉田北舟子

朝の駅前でボーイスカウトの子供達が声を張り上げて募金を呼びかけていた。NHKのアナウンサーや国会で答弁する政治家の背広の衿に赤い羽根が目につくのもこの時期。なぜ赤い羽根をつけるのか、その由来を共同募金のサイトで調べてみた。アメリカで募金に協力した人々が水鳥の羽根を赤く染めて胸に飾ったのが始まりとか。赤は勇気と善行をあらわす色だという。募金を呼びかけるのも、募金箱にお金を入れるのもちょっとした勇気が必要だからだろうか。募金せずとも学校や職場ではわずかな引き落としで全員に配られていたように思うけど、あの赤い羽根はどこに消えているのだろう。襟元にとどまっているは数日でその後は、捨てているのか、抜け落ちているのか。最後まで見届けた記憶がない。北舟子(ほくしゅうし)がいうように、「すぐ失くす」「赤い羽根」と思いつつも、配られれば配られるまま胸につけ、失くしたら失くしたで気にもとめない。「ども」と言いよどんだあとのささいなひっかかりを言外に表現できるのも俳句ならではの働きだろう。かくて、今年こそは赤い羽根の行方を、と思ってみたけれど、明日になればこの決意も忘れてしまいそうだ。「現代俳句全集第一巻」(1958)所載。(三宅やよい)




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