August 2882002

 吹き起こる秋風鶴をあゆましむ

                           石田波郷

波郷句碑
正な句だ。元来が、「鶴」という鳥には気品が感じられる。その鶴を「吹き起こる秋風」のなかに飛ばすのではなく、地に「あゆま」せることによって、気品はいよいよ高まっている。毅然たる姿が目に浮かぶ。「鶴」は波郷の主宰誌の名前でもあり、その出立に際しての意気が詠み込まれている。自然に吹き起こる秋風のような、我らの俳句活動への熱情。やがては大空へ飛翔する鶴を、いま静かに野に放ち歩ませたのである。ところで、句の「秋風」はどう発音するのだろうか。私は、なんとはなしに「シュウフウ」と読んできた。「アキカゼ」よりも荘重な感じがするからである。しかし、さきごろ藤田湘子さんから『句帖の余白』(角川書店)を送っていただき、次の一文に触れて、波郷の本意を思いやれば「アキカゼ」と読むべきだと思った。「この句は昭和十二年作。この年『鶴』を創刊したからそのことと関連づけて観賞されている。事実、そうである。したがって新雑誌を持つ、そこを活動の場として俳句運動を展開する、という晴ればれとした気概が波郷には漲っていたにちがいない。そうした雄ごころの表現にはアキカゼの開かれた明快な韻がふさわしい。一部の人はこの年日中戦争が始まって前途への暗いおもいがあったから、荘重な調べのシュウフウのほうがいい、と言う。けれども当時はまだ戦争による逼迫感はほとんどなかった。新雑誌発行の意気込みのほうがずっとつよかったはずだ」。こう読むと、鶴の歩みはよほど軽やかに見えてくる。写真は、東京調布市の深大寺開山堂横にある句碑。碑の姿と漢字の多用(掲句は何通りかの表記で伝えられてきた)からして、製作者は「シュウフウ」と読ませたがっているようだ。『石田波郷全集』(角川書店)所収。(清水哲男)




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