August 2282002

 鶏頭やおゝと赤子の感嘆詞

                           矢島渚男

語は「鶏頭(けいとう)」で秋。昔、どこにでもあった鶏頭はおおむね貧弱な印象を受けたが、最近では品種改良の結果か、「おゝ」と言いたいほどのなかなかに豪奢なものがある。そんな鶏頭を見て、赤子が「おゝ」と「感嘆詞」を発したというのだ。このときに、作者は思わず赤子の顔を覗き込んだだろう。むろん、赤子は鶏頭の見事さにうなったのではない。内心でうなったのは作者のほうであって、タイミングよくも赤子が声をあげ、作者の内心を代弁するかたちになった。そのあまりのタイミングのよさに「感嘆詞」と聞こえたわけだが、赤子と一緒にいると、ときどきこういうことが起きる。なんだか、こちらの気持ちが見通されているような不思議なことが……。思わず覗き込むと、赤ちゃんはたいてい哲学者のように難しい顔をしている。場合によっては、いささか薄気味悪かったりもする。無邪気な者は、大人のように意味の世界を生きていないからだ。またまた脱線するが、江戸期まで、鶏頭は食用にもされていたらしい。貝原益軒が『菜譜』(1704)に「若葉をゆでて、しょうゆにひたして食べると、ヒユよりうまいが、和(あ)え物としてはヒユに劣る」と述べている。鶏頭の元祖であるヒユ(ナ)はいまでも夏野菜として一部で栽培されており、バター炒めにするとクセがなくて美味だそうだが、食したことなし。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます