August 1382002

 羅におくれて動くからだかな

                           正木浩一

性用が圧倒的に多いが、「羅(うすもの)」には男性用もある。作者は、たぶん身体がだるいのだろう。盛夏にさっと羅を着ると、健康体なら心身共にしゃきっとした感じがするものだが、どうもしゃきっとしない。動いていると、着ているものに「からだ」がついていかないようなのだ。その違和感を「おくれて動く」と言い止めた。ゆったりと着ているからこその違和感。着衣と身体の関係が妙に分離している感覚を描いて、まことに秀逸である。羅を着たことのない私にも、さもありなんと思われた。作者は現代俳人・正木ゆう子さんの兄上で、1992年(平成三年)に四十九歳の若さで亡くなっている。生来病弱の質だったのだろうか。次のような句もあるので、そのことがうかがわれる。「たまさかは濃き味を恋ふ雲の峰」。カンカン照りの空に、にょきにょきと雲の峰が立ち上がっている。このときは、多少とも体調がよかったようだ。雲の峰に対峙するほどの気力はあった。が、医者から「濃き味」の食べ物を禁じられていたのだ。健康であれば、猛然と塩辛いものでも食べるところなのだが、それはままならない。やり場のない苛立ちを押さえるようにして、静かに吐かれた一句だけに、よけい心に沁みてくる。『正木浩一句集』(1993)所収。(清水哲男)




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