August 0182002

 若竹の冷え伝ふなり真昼の手

                           櫛原希伊子

語は「若竹」で夏、「今年竹」とも。皮を脱いで生長した今年の竹は幹の緑が若々しく、加えて節の下に蝋質の白い粉を吹いているので、すぐにわかる。竹林は、昼なお薄暗く、そして涼しい。作者は、若々しいその竹に、そっと手を触れてみた。思わずも、吸い寄せられるように、であろう。ひんやりとした感触……。しかしその「冷え」は、脈々と息づいている生命の確かさにつながっていることがわかる。冷たい健やかさというものもあるのだ。この発見に、私は作者とともに感動する。「若竹の肌は、私の手を伝わって何を言いたかったのか。私はどう感じとればよかったのか」(自註)。自然との触れ合いのなかでは、必ず言葉に尽くせない思いが残る。そういうことも、この句は見事に告げている。同じ作者による「今年竹」の句も引用しておく。こちらは、実に爽快だ。「男ゐて雲ひとつなし今年竹」。真っ青な空に向かってすっくと伸びた若い竹が「男」の姿とダブル・イメージとなっており、しかもそれぞれの輪郭がはっきりとしている気持ちの良さがある。「こうあって欲しいと思う男のイメージ」を詠んだのだと、これも自註より。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)




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