July 1972002

 をさなくて昼寝の國の人となる

                           田中裕明

語は「昼寝」で夏。「をさなくて」を、どう読むか。素直に「幼いので」と読み、小さな子供が寝つきよく、すうっと「昼寝の國」に入っていった様子を描いた句としてもよいだろう。そんな子供の寝姿に親は微笑を浮かべ、ときおり団扇で風を送ってやっている。よく見かける光景だ。もう一つには、作者自身が「幼くなって」「幼い気持ちになって」昼寝に入ったとも読める。夜の就寝前とは違い、昼寝の前にはあまりごちゃごちゃと物を考えたりはしない。たとえ眠れなくても、たいして気にはかからない。とりあえずの一眠りであり一休みであり、すぐにまた起きるのだからと、気楽に眠ることができる。この精神状態を「をさなくて」と言っているのではあるまいか。子供時代に帰ったような心持ち。この気楽さが、作者をすぐに「昼寝の國」に連れていってくれた。そこには、大人の世界のような込み入った事情もなければ葛藤もない。みんなが幼い人として、素直に邪心なく振る舞っている。大人的現実の面倒なあれこれがないので、極めて快適だ。昼寝好きの私としては、後者を採りたいのだが、みなさんはどうお考えでしょうか。ちょっと無理でしょうかね。ともあれ、明日は休みだ。昼寝ができるぞ。『別冊「俳句」・現代秀句選集』(1998)所載。(清水哲男)




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