July 1772002

 子規は眼を失はざりき火取虫

                           浅香甲陽

語は「火取虫(ひとりむし)」で夏。「灯蛾(ひが)」「火蛾(かが)」とも言い、夏の夜、燈火に突進してくる蛾のことだ。他の虫は含まないのが定説。「飛んで火に入る夏の虫」と人間は強がってもみるが、火取虫の灯に接しての狂いようには、後しざりしたくなるほどの物凄さがある。その物凄さを、作者はいまや見ることが適わない。ただ羽音からのみ、目が見えていたころに見ていた様子の記憶に重ね合わせて、推察するのみである。まさに眼前に火取虫が来ているのに見えないもどかしさは、元来が見えていた人にとってはいかばかりだろうか。たとえば鶯の鳴き声を聞くなどのときには、姿は見えずともよい。しかし、眼前の火取虫は時に打ち払う必要もあるのだ。「子規」とは、むろん正岡子規のこと。病床六尺で病苦にさいなまれた子規ではあるが、しかし、彼には視力が残されていた。十代でハンセン病を罹患し、三十代に失明した作者の気持ちは、掲句において「憤怒の様相」(林桂)すら帯びている。それも、やり場の無い怒りであることは、当人がいちばんよく承知しているにも関わらず、こう表現しなければいられないやりきれなさが痛いほどに伝わってくる。この句が載っている遺句集『白夢』は、村越化石の編集により栗生樂泉園文芸部より1950年に発行されている。それがこのほど(2002年7月)、作者が闘病をつづけた地とゆかりの群馬県在住の俳人・林桂らの尽力により復刻された。発売は前橋市の喚乎堂。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます